「実践!管理者心得」第79回目

労使慣行を知るには歴史を知るべし


前回、就業規則の話を書いたところ読者の方々より多くのご意見を頂きました。その中に「日本の従来の労使慣行は東洋の美徳であった」とのご意見がありました。この労使慣行とは会社が終身雇用などを保証する代わりに、従業員は会社へ忠誠心を持って滅私奉公するとの意味ですが、これが東洋古来の美徳とか日本人の特性だ思い込んでいる方もいらっしゃるようです。

しかし労使関係の歴史をご覧になれば、これは錯覚であることが一目瞭然なのです。今回は日本の工業化の歴史を見てみましょう。

日本が工業化に突入したのは1914年に勃発した第一次世界大戦からですが、この頃は会社と従業員の関係は「資本家が労働者を搾取している」と対立しているのが一般的な価値観でした。この価値観を強く表しているのが、1916年に有名な経済学者の河上肇が書いた「貧乏物語」です。これは大阪朝日新聞に連載され大評判を呼びました。

1920年代に入ると八幡製鉄所の大規模なストライキが発端となり、労働者の待遇改善を訴えるストライキが日本全土に広がりました。1921年の東京モスリン工場での女性労働者のストライキは特に有名です。

1925年には細井和喜蔵著の「女工哀史」が出版され、紡績産業に従事する女工のみじめな姿が世間に広く訴えられました。

1927年には関東大震災で被害に遭った企業を救済するための震災手形が不良債権となり、銀行の取りつけ騒ぎが勃発、つぶれる銀行が相次ぎ、ついに日本は恐慌へ陥りました。これに追い討ちをかけるように1929年のニューヨーク株大暴落による世界恐慌が始まると、企業は一斉に大量解雇に踏み切ったのです。

その結果、1933年には三菱航空機名古屋製作所、東京市電、大蔵映画、武蔵野鉄道、大阪鉄工所など大手企業をはじめ、全国942組合(384613人)で争議が起こりました。特に東京市電が赤字解消のために行った1万人の首切りは、組合がこれに対抗して12日間もストライキを行ったため東京の機能が麻痺したと記録にあります。

このような労使の関係は第二次大戦後もしばらく続くのです。1949年に国鉄の大量解雇が発表となった2日後に無人電車が暴走した三鷹事件、国鉄総裁が行方不明になって死体で発見された事件や、東北線の松川で機関車が転覆する松川事件などもこの頃です。

1950年に朝鮮戦争が勃発、日本は一転して特需に沸きかえりました。さらに佐久間ダムをはじめとする大規模な公共事業により景気がどんどん上向きました。1953年にはテレビの放映が始まり1958年にはテレビの受像機は100万台を突破して「電化元年」と言われました。そして翌年には500万台を超えてテレビのアンテナが新しい日本の風景となったのです。

1956年の経済企画庁の経済白書では「もはや戦後ではない」と定義されました。そして1960年代になるといよいよ高度成長期に突入します。池田勇人首相が「所得倍増論」を打ち出し、海岸の埋め立てと工業団地の造成が進みました。そして、ついに1968年には国民総生産が世界で第2位になったと発表されました。

このように歴史を振り返ってみるとすぐにわかる通り、終身雇用と滅私奉公に代表される労使慣行は1960年代から始まった、ここ数十年の価値観にしか過ぎないのです。日本人の労使慣行を知るには日本の近代の歴史を知らなくてはいけないのです。





著者:UVC管理者セミナー講師 立川 剛
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