「実践!管理者心得」第100回目
日本の歴史、二宮尊徳に学べ
「実践!管理者心得」もおかげさまで連載100回となりました。これまで多くの方々から励ましの言葉を頂きましてありがとうございました。今後とも管理者に役立つ内容を執筆して行きますのでよろしくお願い致します。
私が行っているタイの日本人駐在員を対象とした管理者セミナーでは日本の歴史で卓越した管理手法を持っていたの上杉鷹山や二宮尊徳を紹介することが多いのですが、特に二宮尊徳の信条である「積小為大」は実に良い言葉だと思います。これは二宮尊徳がまだ金次郎との名前だった幼少のころからの信条で「小さなことを積み重ねて、はじめて大きなことができる。だから小さなこととでも一生懸命行うべきだ」との意味です。
二宮尊徳と言えば1891年に幸田露伴の「二宮尊徳翁」により全国の小学校に薪を担いで本を読みながら歩いている銅像が建てられたため勤勉の代表者のイメージがありますが、その波乱万丈の生涯は意外と知られていません。戦前の尋常小学校での修身の教科書では学年を問わず一番多く扱われていたのは二宮尊徳ですから、戦前の日本人は誰でも尊徳の生涯を知っていたのです。
二宮尊徳は1787年に神奈川県の小田原市に裕福な農家に生まれます。しかし4歳の時に大洪水に襲われ、これが原因で貧乏のどん底に叩き落され一家離散の悲劇に遭ったのです。大変な苦労をしながら勉強と努力を重ね23歳の時には村でも指折りの地主となりました。25歳の時に大赤字で苦しんでいた小田原藩の家老服部十郎兵衛家の財政建て直しに着手、5年後には借金を全て返済した上に300両の余り金まで残しました。この手腕が小田原藩の城主、大久保忠真の目にとまり35歳の時に大久保家の分家である宇津家の領地、栃木県桜町の建て直しを命じられます。この桜町は年貢の取りたて厳しく多くの農民が逃げ出しており、残った人々も博打や酒に溺れているなど大変に乱れた村でした。さらに桜町の役人も尊徳のことを快く思わず非協力的であるため、さすがの尊徳も地道な努力を重ねたものの一進一退を繰り返します。そして自分を見つめ直すために桜町を出て成田山にこもり有名な21日の断食修行を行ったのです。
この断食中に再度「積小為大」の信念を確認、再び桜町に戻り44歳の時に年貢を1894俵も収めるほどの大成功を収めました。しかも桜町は天保の大飢饉の際には1人の餓死者も出さず、周りの村にひえを送ってあげるほどの余裕すらあったのです。尊徳はその後、小田原藩の領地だけではなく烏山藩、下館藩、相馬藩などの領地も立て直して行き、55歳のときに幕府の老中、水野越前守忠邦の要請により幕府の役人として取りたてられます。70歳で他界するまでに尊徳が再建を手がけた村は600ヶ所以上にのぼります。尊徳の仕事の内容は報徳仕法と呼ばれ、明治政府の農業政策とむすびついて全国に普及、1924年には大日本報徳社となり日本の農業の発展に大きな業績を残したのです。
鍬一本でこれだけの偉業を残したのは尊徳の強烈なリーダーシップと人身掌握の管理手法に他なりません。尊徳の実践的な管理手法を勉強することは私たちに日本人駐在員にとっても多いにプラスになるはずです。
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著者:UVC管理者セミナー講師 立川 剛
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